芦屋を選んだ理由は「葦屋浦の戦い」。これは、壇ノ浦の戦いの1185年2月1日(旧暦)に芦屋であった戦で、九州から平家方へのサポートをなくして孤立させるための作戦だったみたい。この戦いには平家の人たちは参加してないようで原田種直さんが指揮を執った戦い。で、原田さんはこの戦で息子さん達を亡くすの。この戦の時、平知盛さんは長門の国、彦島(下関)に居たみたい。2月19日が屋島(四国・香川県)の戦い。知盛さんは彦島(下関)に居たらしい。

糸島の龍国寺で出会った芦屋(福岡県遠賀郡)の学芸員の方が教えてくれた芦屋歴史民俗資料館にまず行ってみる事に。

資料館の2階に行くと学芸員さんが言っていた特別展示の残りがありました。(クリックしたら大きくなるよ)

こんな資料を置いていました。

全部はいけないし、情報が多すぎると解らなくなるから気になる所を2~3か所選んでいこうという事になりました。

気になったのは、地図の①の堂山石塔群。それと葦屋浦の戦いのあった⑨の合戦ヶ原。

でね、この展示のジオラマがすごくよかった。

そっか。こうやって、山鹿秀遠さんたちは芦屋から下関の壇ノ浦に行ったんだね。で、多くの人が帰って来れなかったんだろうね。

次に向かったところは、地図の①の堂山石塔群。1897年に佐野屋の老女が発見したらしい。

石塔群の所の階段を下りて海、入り江に。

しょーこ、髪の毛ボサボサだな。

その地に立ってみると、色んなことを考えたり、気付いたり。

「あの佐野屋のお婆さんが見つけた石塔群。誰が誰のために作ったんだろうね」

「ここから出て行って、下関の壇ノ浦に行ったんだね・・・」

「ここから出たから、ここに石塔群をつくったんだろうね」

「そういえばさ、漕ぎ手を射れ、って義経言って、漕ぎ手を狙ったじゃん。ここの漁師の人とかが、撃たれたんだろうね・・・」

「負けた戦だから、その漁師の家族とか何の保証もないから、生活どうしたんだろうね・・・」

「海がきれいだね」

「キラキラしてるね」

「ダニー君の写真撮ったら、次、合戦ヶ原に行こう・・・」

「ここで原田さんたちが戦ったんだね・・・息子さんも亡くしたんだね・・・」

車を出して門司の大里へ。

大宰府から落ちて、原田さんに護衛をしてもらって芦屋に。芦屋から山鹿さんに船団を出して護衛をしてもらって柳ヶ浦へ。内裏の柳の御所。

「お茶飲まなかったね。どっかでお茶しようか」

「UZUいこっか。カフェラテ美味しいし。壇ノ浦見えるし。」

「じゃぁ、赤間神宮に旅の報告に行ってからお茶しようか」

「いい旅だったね」

いろんなこと感じたり、考えたり。

先輩、運転本当にありがとうございました。お疲れさまでした。

知盛さんが陣を置いてた彦島も調べたい・・・けど、とりあえず、5月の先帝祭に向けて、やりたいことがあるから、そこにフォーカスしていこうと思う。