北九州でマイナス5度の予報。
数年に一度の寒波らしい。
神社の写真を撮ってなかったから、春に撮った写真を使うね。
神戸発-新門司行きのフェリーはキャンセルも出たのか、かなり空いていました。
外は吹雪いているけど、船はそんなに揺れず。瀬戸内の海というのは穏やかで、この海で平家の人たちは彷徨ったり、戦ったり。
門司の御所神社に行って、和布刈から関門トンネルを歩いて・・・と思っていたけど、寒いし、凍ってるといやだから、日を改めようかと。だけど、フェリーを降りて、送迎バスで門司駅に着くと、そのルートも行かないと、旅が終わらないような気がした。駅前にはミスタードーナツがあるんだけど、9時に開店だと。コンビニでコーヒーとパンを買って寒いけど駅で食べた。
私はこの駅がある学校区で育った。
駅の裏。海側。私が子供のころはそう言ってた。今はすっかり変わって、きれいになって、マンションが立ち並んでいる。そういえば、今回のガイド研修で出会った東京に住む女性の叔父さんと叔母さんがこのあたりのマンションに住んでいたらしい。そこのご夫婦は亡くなって、和布刈神社で関門海峡に散骨したらしい。
赤レンガはもともとは、サッポロビールの工場でした。年に一度のサッポロビール工場見学は楽しみだった。お菓子やジュースをくれるの。
今は、こんな風になって、親しい友人の写真のスタジオもある。私のプロフィールなどはいつも彼が撮ってくれる。でも、彼は地元、門司の人じゃないんだよ。でも、ここ、私が育った所で、私の写真撮ってくれて、その写真使いまくってるよ。前に作った「みらいへ 北九州の戦中戦後」という冊子の写真も彼がやってくれたの。
安徳天皇が上陸した場所があるらしい。
この辺りで、子供の頃、釣りをしてた。
JRの鉄道の下はトンネルになってて、子供の頃はここが怖かった。
そのトンネルを抜けたところに駐車場があって、そこを借りてた。
その先の交差点を渡ると、両親がお店をしてたところ。
私が生まれた年に、両親はここでお店を始めたの。お店と住居が一緒になっていて、といってもひと部屋あるだけ。そこにグランドピアノがあって、グランドピアノの下で遊んでた。
今はマンションが建っていて、小道から裏の通りに行くと、とても小さくて、距離が短くて、ミニチュアみたいだった。でも、子供の頃はこの5倍くらい大きいと感じていた。
御所神社は、私の町内。
私たちは「ゴショ」って呼んでいた。御所の意味が解るのは大人になってから。
子供会のバレーボールやラジオ体操は御所神社でやっていた。町のお祭りも、お神輿も御所神社だった。
子供の頃の遊び場も、御所神社だった。なんとなく、じめっとした感じの御所神社だから、夕方暗くなり始めるとちょっと怖いなって思って急いで帰ってた。
御所神社のすぐ近くに小学生の頃一番親しかった友達の家がまだあった。
表札を見ると、名字が変わってなかったので彼女の親戚や家族がまだ住んでいるのかも。
私は、ここで育った・・・んだ。けど、学校ですごいいじめにあったから、逃げるようにして山口県下関の私立の中学に行ったの。
久しぶりに、じっくり、考えながら歩いていると、ここが私が育った所だとつくづく思えた。