パゴダ (pagoda) とは、仏舎利を安置する仏塔の意味で、ミャンマーではパヤー(Paya)と呼ばれている。

世界平和パゴダ

全棟竣工:1958(昭和33)年9月
建設責任団体:門司世界平和パゴダ建立委員会
敷地面積:約3400坪(11,220㎡)
建物施設:世界平和パゴダ、僧院、戒律堂、研修道場
総工事費:4,000万円
(ビルマ政府仏教会2千万円、門司世界平和パゴダ建立委員会2千万円)
パゴダの高さ:45m
釈尊坐象の高さ:1.6m


設立の経緯

1954(昭和29)年12月ビルマ(現ミャンマー)のカバーエ・パゴダで釈尊の入滅2,500年を記念して第3回国際仏教徒会議が開催された。この際、日本の代表者は上座部(南方)仏教に感銘を受け、翌1955(昭和30)年ミャンマー政府に要請、13名(男12名、女1名)を上座部仏教の研究のため派遣し、アパラゴーヤナ僧院に居住させ仏典を学び座禅の指導を受けさせた。その後日本に戻った彼らは、日本釈尊正法会を作り、1956(昭和31年)8月東京に於いて日本仏教(大乗仏教)とビルマ仏教(小乗仏教)の交流の名目で日本側とビルマ側の仲立ちを行い、上座部仏教布教のため日本に布教センターを作りたいビルマ側と第二次世界大戦戦死者の英霊の合祀を行いたい日本側双方の思惑を合致させ、世界平和パゴダ建立が決定された。そしてふたつの候補地(京都市、門司市)より門司市が選ばれた。

同年9月には門司世界平和パゴダ建立委員会が設立され、会長に門司市長の柳田桃太郎氏が就任、同月地鎮祭が執行され門司世界平和パゴダの建設が開始される。そして1957(昭和32)年には僧院、翌年1958(昭和33)年にはパゴダ他全5棟が完成した。完成に合わせビルマ側よりは僧侶5名が派遣され、同年9月9日落慶式が執行された。

その後僧侶たちは常駐し、総礼、三帰、五戒と小乗仏教227の厳しい戒律(生涯独身、1日2食、政治不参加、金銭とは無縁など)を守り、毎日諸方からのお詣りに来る人々の求めに応じて法を説くとともに、毎朝大東亜戦争に散華した方々のために、読経をあげて冥福を祈った。

現状と今後の方向性(2012年)

 門司世界平和パゴダは順調に運営されてきたが、2011(平成23)年12月、住職であったウ・ケミンダ大僧正がお亡くなりになった後、資金難やこれまで中心となって世界平和パゴダを支えてきた戦友会の方々の高齢化もあり休館となった。

しかし、旧役員を中心とした地元有志やミャンマー仏教会及びミャンマー大使館は再開に向けての協議を行い続け、そして2012(平成24)年8月28日世界平和パゴダに新たにミャンマーよりウ・ウイマラ長老とウ・ケミンダラ僧の2人の僧侶が派遣され、翌29日の夜から世界平和パゴダで生活を始めた。つまり、8月29日をもって世界平和パゴダは再開されたことになったのである。

また、併行してミャンマー仏教会及びミャンマー大使館は、地元経済人の佐久間進氏(サンレーグループ会長)に世界平和パゴダの再建を委嘱。佐久間氏は地元経済人や学識経験者による日緬仏教文化交流協会を立ち上げ、運営はもとより資金面や老朽化した施設の改修問題など世界平和パゴダ再建への支援を行っている。

現在、2人の僧侶は布教活動に努められており、再開を知った地元の方々など参拝者も増え、世界平和パゴダは元の賑わいを取り戻しつつある。