はじめに

1999年、カルフォルニアに住むアメリカ退役軍人ドナルド・ヴァーソーさんとアメリカでの音楽活動を通して知り合いました。彼は太平洋戦争中、捕虜として飯塚の炭鉱で労働していました。2011年、ふとしたきっかけで、2010年秋当時89歳の彼が日本政府の元米兵捕虜招聘プログラムで来日した事を知り、彼がまだ生きている事を知りすぐに関係団体へ連絡をしました。インターネットで捕虜の事を調べると、彼らは南方から船で運ばれ多くが門司から入り、生きて門司に辿りついた捕虜はそこから全国の収容所に送られました。全国で最も多くの捕虜が亡くなった場所が北九州でした。

この事がきっかけとなりあの戦争の事を調べ始めると次から次に知らなかった出来事、地名や名前が出てきて興味は尽きず、夜な夜な布団の中でiPhoneを握り検索をしました。東南アジアやシベリアには今も日本に帰れない日本人のご遺骨が100万柱以上ある事を知り「遺骨収集」というもの体験してみたいと思い登山家野口健さんが行う沖縄遺骨収集に参加してみました。外務省とオランダ政府により行われる水巻町でのオランダ人招聘プログラムに参加し太平洋戦争でなぜオランダやインドネシアが関係していたのか知りました。1950年に始まった朝鮮戦争により北九州にはとても大きな経済効果(朝鮮特需)があったと知りました。何かを知るとその事をきっかけにまた解らない事が出来ては検索をし、気付けばあの時代の歴史がパズルのように埋まって行きました。

様々な角度からの太平洋戦争(大東亜戦争)を知り、あの時代の北九州を知り、私の命が多くの偶然によりかろうじて繋がれた事や私たちの世代が忘れてしまっている沢山の歴史や命がある事を知りました。20~40代の方々があの時代の歴史や命を知るきっかけになるような冊子を作りたいと思いました。

この冊子は歴史を細かく説明していません。戦争はそれぞれの国や立場により、情報、思想、経験、想いなどが全く異なります。気になる単語や出来事があれば、PCやスマートフォンで検索してください。検索キーワードになる単語は文中で色を変えています。その先でまた知らない事を見つけたら、また検索をしてください。ウィキペディア等も活用してください。さまざまな考えや価値観と沢山の発見があると思います。

ニューヨークに7年住み、その後バックパックを担いでインドや東南アジアを放浪し、首都圏に12年住んだ私は、今、日本と世界と自分が生まれ育った北九州の歴史に夢中です。北九州に軸を置き、時代・世代、国境を越えて世界中の人々に繋がっています。
北九州市制50周年おめでとうございます。

2013年2月10日
Angels Swing 白石昌子(Seina)


戦争史と北九州近辺の出来事(山本昭生)

主に日本国が関わった戦争と当時の北九州の環境は以下の通りである

1863

下関外国船砲撃事件(下関戦争)、高杉晋作、奇兵隊組織

1864

英、仏、オランダ、米国4国連合艦隊、下関砲撃。

1875

乃木希典(のちの大将)が第14連隊を率いて小倉に赴任。秋月の乱、萩の乱を鎮圧する。

1894

日清戦争。主に朝鮮半島をめぐる日本と清国の戦争。日本優勢の中で締結された講和条約により清国は賠償金を支払う。この賠償金(当時のお金で約3億円)を使って日本政府は福岡県八幡村に官営の製鉄所を建設した。八幡製鉄所の誕生である。

1898

小倉に第12師団司令部開庁。翌32年 森鴎外軍医部長着任。

1904

日露戦争。日本ロシアとの間で、朝鮮半島満洲を主戦場とした戦争。小倉から第12師団が出兵。

1914

第一次世界大戦人類史上最初の世界大戦

1931

満州事変。日本軍国主義化の推進。門司港から出征兵士の歓送。

1933

陸軍造兵廠小倉工廠開庁。北九州は軍需工場の一大拠点となる。

1937

日中戦争勃発。日本と中国は全面的な戦争状態となる。戦時統制に移行。中国に近い北九州に全国から兵士が集結した。北九州市内では軍需関連工場の新設と拡張が続く。

1939

第二次世界大戦

1941

12月、日本が太平洋戦争に突入。

1943

門司港から入国した連合軍捕虜が福岡県内各地で就労。門司YMCAが捕虜収容所となる。

1944

小倉到津遊園では動物を処分、農園となる。戦争末期、北九州5市は疎開都市の指定を受け学童は宗像郡や京都郡に疎開する。6月、八幡製鉄所が本土で初の空襲を受ける

1945

8月、広島と長崎に原爆。太平洋戦争終結。

1946

マッカーサー元帥が日本上陸、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部を設置。北九州各地に占領軍が進駐。

1950

朝鮮戦争勃発。小倉の陸軍造兵廠は米陸軍歩兵第24師団の司令部となり多くの物資や兵士が門司港から韓国に送られた。多くの国連軍将兵が戦死、小倉は戦没者の処理拠点となった。翌年無名兵士の鎮魂のため、足立山の麓に朝鮮半島の方角に向ってメモリアル・クロスが建立される。

1958

世界平和祈念と第二次世界大戦の戦没者慰霊のため、ビルマ政府と門司市(当時)により、日本唯一のビルマ様式寺院世界平和パゴダが建立される。