フルート|限りなく透明に近いブルー
ドラッグ。セックス。黒人米兵。乱交。体液と、唾液と、胃液と、吐しゃ物。私にとって「限りなく透明に近いブルー」は非常に難解な本でした。今回、約30年ぶりに読み返す中で、この作品の中にすでにフルートがある事に気づきました。
「限りなく透明に近いブルー」より
「違わないよ、お前は俺よりずっと若いから知らないだけさ、お前な、フルートやれよ、お前フルートやるべきだよ、ヨシヤマみたいなアホとつき合わないでちゃんとやって見ろよ。ほらいつか俺の誕生日に吹いてくれただろ。
レイ子の店でさあ、あの時うれしかったよ。あの時何かこう胸がムズムズしてきてさ、何とも言えない気分になったんだ、すごく優しい気分にな。うまく言えないけど喧嘩した奴とまた仲直りしたみたいなそんな気分さ。あの時俺思ったんだ何てお前は幸せな奴なんだって思ったよ、お前がうらやましかったよ、あんな気分にさせるお前がさ。俺はよく知らないけど俺は何もできないからな。あれからまだああいう気分になったことないもんな、まあ実際に何かやる奴にはそいつにしかわからないことがあるかも知れないけどな。俺はただのジャンキーだけど、もうヘロインが切れてさあ、打ちたくて打ちたくてたまんない時あるんだよ、手に入れるためだったら人殺しでもするような時、そういう時に俺考えた事あったんだ。何かあるような気がしたんだ、いや俺とヘロインの間にさあ、何かがあってもいいような気がしたんだ。本当はもうガタガタ震えて気が狂う程へロインを打ちたいんだけど、俺とヘロインだけじゃあ何か足りないような気がしたな。打ってしまえばもう何も考えないけどな。それでその足りないものって言うのはさあ、よくわかんないけど、レイ子とかおふくろじゃないんだな、あの時のフルートだって思ったんだ。それでいつかお前に話そうと思ってたんだ。リュウはどういう気持ちで吹いたのか知らないけど俺はすごくいい気分になっただろう?あの時のリュウみたいなのがいつも欲しいと思うんだよ。注射器の中にヘロインを吸い込むたびに思うよ、俺はもうだめさ、からだが腐ってるからなあ。見ろよ、頭の肉がこんなにブヨブヨになって、もうすぐきっと死ぬよ。いつ死んでも平気さ、どうってことないよ、何も後悔なんか何もしてないしな。
ただ、あの時のフルート聞いたあの気分がどういうものかもっとよく知りたいな。それだけは感じるよ、あれ何だったのか知りたいよ。もし知ったらヘロイン止めようって思うかな、思わないだろうな。だからって言うわけじゃないけど、お前フルートやれよ、俺へロインさばいて金入ったらフルートのいいの買ってやるよ」
オキナワの目は赤く濁っている。コーヒーを持ったまま話しパンツを雫が少し汚している。
「ああ、頼むよ、ムラマツがいいな」
「え?何だ?」
「ムラマツさ、フルートのメーカーだよ。ムラマツのやつが欲しいんだ」
「ムラマツだな、わかった。お前の誕生日に買ってやるよ、それでまた俺に吹いてくれよ」
オキナワは、彼自身よく解らないけど「音楽」が希望のように「感じた」のだと思う。
私は、良い音を出せるフルートをホセ・ルイスに吹いて欲しかったし、私がプレゼントした楽器でこの天才が演奏し続けると思うと、生きのびていく希望さえ持てるような気がしたのだ。(「トスコと呼ばれる男」のライナーノーツより)
「オキナワ」は「村上龍」になり、「リュウ」は「トスコ」になったのかもしれない。