※「A⊂B」は、「AはBに含まれる」

数日前、ふと、「KYOKO」の物語に「村上龍」を当てはめた。そういうシュミレーションをしてみた。

その時、パズルのピースがはまったような気がした。

龍さんは、「KYOKO」の制作中、「KYOKO」を熱く語り、主演女優の高岡早紀さんのことを熱く語り、キョウコは龍さんが作り上げたヒロインだと思っていた。だからそんなシミュレーション考えもしなかった。

8歳のキョウコはGIのホセ・フェルナンド・コルテスにダンスを教えてもらう。

ホセ・フェルナンド・コルテス。という名前は、ホセ・ルイス・コルテスの名前からきたのだと思う。

映画「KYOKO」は誰のために、何の目的で作られたのか。

誰の為でもなく、龍さんは龍さんのために作った映画なのではないか、と。

 

「村上龍」は基地の街佐世保で生まれ幼少期からアメリカとの関係を見てきた。

このことは大事だから、もう一度言おう。私は、自分の町の普通の家で(特殊な外国人居留区ではなく)、占領軍(駐留軍)の兵隊と自国の女が性交するのを盗み見た初めての世代なのである。恐らく有史以来(日本国誕生以来)、初めての世代なのだ。

「アメリカ」の兵隊だった。このことは忘れてはいけない。みんな忘れている。知らん顔をしている。恥だと思っている。もう済んだことだと思っている。

アメリカはこのようにして入り込んできた。GIは陽気で、楽しそうだった。日本の女に混血児をたくさん生ませた。そして私の中にも「混血の感性」を植えつけた。私達の親は、朝鮮動乱以後、「戦前のレベル」ではなく「アメリカのレベル」を目標に働き続けた。政府もそれを指導した。学校でもそう教えた。日本全体がポップ化を推進した。アメリカは、目に見えるもの、触れるもの、食べられるものを先頭に押し立てて、ポップの波を日本に寄せたのである。(1984年頃に書いたエッセイ「アメリカン★ドリーム」より)

高校を卒業し、東京に行く。そこでも「基地の街」を選んで暮らした。アメリカとの「力関係のようなもの」は継続する。

「新しい他者・キューバ」との出会いは、龍さんの中にあったアメリカとの「力関係のようなもの」を変えていった。

キューバに初めて行った1991年、トパーズに主演した二階堂みほさんで「KYOKO」の着想を得て「シボネイ 遥かなるキューバ」という本を書いた。KYOKOはニューヨークでストリッパーをやっていた女性だった。

「限りなく透明に近いブルー」、「イビサ」、「トパーズ」などの設定が好きな人にとってはその方がしっくりきたと思う。しかし、二階堂みほさんは降板した。その次に決まった女優は、龍さんにとってのキョウコではなかった。3人目の女優が高岡早紀さんだった。その過程で映画の物語はどんどん大きく変わっていき、キョウコはストリッパーではなく、トラックドライバーでお金を貯めた純粋な真っ直ぐな女の子の話になる。

この「女優が変わる」アクシデントは龍さんの次のフェイズへの扉が準備できたという運命の計らいだったのかもしれない、と、私は考えてみた。

映画の構想が出来た頃から、何度もキューバに通い、徐々に龍さんのフェイズが動き出していて、最初の構想とずれが出てきたのかもしれない。

私は村上龍さんと何度かEメールを交わした事があります。龍さんから送られてくるメールの持つエネルギーは、とても優しく、繊細さを感じました。グロテスクでエロティックで、バイオレンスな小説のイメージからは信じ難かった。その繊細さと優しさはメールを読んだ後に残り香のように、しばらく私の中に存在しました。

龍さんの中にある優しさや繊細さ、まっすぐさに女性としての強さを持ち合わせた女性、龍さんの理想の女性像が、高岡早紀が演じたキョウコだったのかもしれない。

龍さんにとって、「KYOKO」を完成させることはとても大きな意味があり、心の中に常にあった「アメリカ」という鎖から自由になる。

映画を完成させることはもちろん大事だが「プロセス」がとても大事で、映画が完成するまでの「途上」で、龍さんが変化する事と並行して物語は生き物のようにどんどん変わっていった。

私たちはどれだけ賢くなれそうな本を読んだとしても、頭で理解したつもりになったとしても、経験した事しか血肉にならない。

 

キョウコにとって、ホセ・フェルナンド・コルテスは希望であり、ダンスは希望であった。

8歳のキョウコにダンスを教え、手を取って踊る事は、合わない軍隊生活の中でのホセの希望だったと思う。

21歳になったキョウコはホセに会うためにニューヨークに行くが、ホセは末期のエイズでキョウコのことを思い出せなかった。自分をマイアミの家族のところに連れて行ってくれようとする「日本人の女の子」はホセの希望だったに違いない。

「村上龍」にとって、ホセ・ルイス・コルテスは希望だった。

ホセ・ルイス・コルテスにとっても「村上龍」は希望だったのだと、確信する。

「希望」に不可欠な要素は「信頼」だと思う。

 

小説「KYOKO」の最後のシーン。

ホセから教えて貰ったステップで少年と踊っている時、ヴァージニア・ビーチで会った、小さな小屋に住むネイティブ・アメリカンのおばあさんに言われたことを思い出した。

未来は今、もう既にあなたの手の中にある。

その意味が、わかった。

わたしは、ずっと、どこかへ向かう途上にいた。

今もそうだし、ニューヨークにやって来る前も本当はそうだった。

どこかへ行く、途中なのだ。

昔はそれで疲れたり、焦ったりしたが、もう大丈夫。

途上、にある時だけ、未来があるのがわかったから。

キューバは大好きだが、きっとわたしのゴールじゃない。

ゴールにたどり着いたと認めた瞬間に、未来は消えてしまう。

途上にいて、しかもそれを楽しんでいる時、わたしは未来を手にすることができる。

死ぬことだって、ゴールじゃないし(それは事故みたいなもの)、基本的なものは、鉄条網の傍を歩いていた幼い頃から何も変わっていない。

でも、今、わたしの心の中にずっとあった「鉄条網」が消滅している。

つまり、今、わたしには、何か自分の大切なものから決定的に遠く隔てられている、という感覚がない。

それは、ホセを見つけ、ホセを運ぶ旅の中で消えた。

ホセだけではなく、長い旅の途中で出会ったいろいろな人達と、話したり笑い合ったりしているうちに消えた。

スペイン語はまったくできないし、英語も得意ではないので、彼らと何かをわかり合ったわけじゃない。

単に出会って、通り過ぎただけだ。わたしは目的を持って、彼らの間を通過した。

 

わたしはこれからもずっと、どこかに行く途上にいるだろう。

途上にいるのは、落ち着かなくて不安定だが、たぶん何とかなると思う。

ホセが教えてくれたダンスが、まるで生きもののように、わたしのからだにあるからだ。

 

この言葉は、龍さんが「KYOKO」を制作する人生の「途上」で見つけた、龍さん自身の事なんじゃないかと。

「KYOKOが私の人生と重なった」と思ったが、これは龍さんの人生の物語であり、だけど、「最優先事項」を解って、それを選択し、進んで行けば、誰にでも起こりうる「物語」なんだと思う。

トスコは、龍さんの人生の「途上」で時間や経験を共有し通り過ぎたかもしれないが、その「途上」での過程は、心に刻まれ、龍さんの一部になる。そしてトスコは、龍さんの中で生き続けてる。

佐世保の基地の鉄条網も、音楽も、ホセ・ルイスとの友情も、龍さんのキューバはこの中に埋め込まれてる。


この作品は、あまり評価されてないようですが、「村上龍」を知るうえで、とても重要な転機になる作品です。機会があればもう一度読んでみてください。

KYOKOを読み解くためのおすすめの書籍

  • KYOKO(集英社・幻冬舎・村上龍電子本製作所)
  • KYOKOの軌跡-神が試した映画-(幻冬舎)
  • 村上龍全エッセイ 1987-1991(講談社文庫)
  • あなたがいなくなった後の東京物語(角川書店)
  • アメリカン★ドリーム(講談社文庫)
  • すべての男は消耗品である(村上龍電子本製作所・幻冬舎など)
  • シボネイ-遥かなるキューバ-(主婦の友社)
  • 村上龍対談集-存在の耐えがたきサルサ―(文芸春秋)
  • 限りなく透明に近いブルー(講談社・村上龍電子本製作所)