S井さんと猫たちの事をご近所さんに話すと・・・猫がこんなに問題になっているとは知らなかった。問題は、猫たちの糞尿、車での事故死、猫同士のけんか、発情期、庭を荒らすなどなど、何度もコミュニティの問題として上がったが、ほとんど改善することもなく、より問題は深く、それぞれの心の奥にあるようだった。特に長くこの近隣に住む人たちはその「問題」と何十年も関わり、それでもよくならず、諦めと、嫌悪と、怒りがあるようだった。

私は、猫や犬といった動物にあまり興味がない。好きでも嫌いでもない。だから、動物愛護な人たちとも違うし、嫌悪の人たちとも違う。どうしてこの事に関わる事になったのかは、そういう流れと縁だと思う。

それと、わたしは、誰かが悪い、何かが悪い(このケースは猫)というのを聞くのが、好きじゃない。それよりも、どうやって、問題を解いて、少しでも解決していくか。常識も、文化も、歴史も違う場所、ニューヨークや特にキューバでの暮らしは、日本人の自分が超マイノリティで、それぞれの「違い」、自分との「違い」から、私の中での違和感や、問題と感じた事をどう自分にとって腑に落ちる納得や整理をするか、そうやって、折り合いをつけて、自分の中での解決をして暮らしてきた。

誰かが悪いわけではなく、それぞれが、それぞれの考えや違いを、「正しさ」としてぶつける時、対立が起こり、解決も平和も起こらない。一見「平和」に見えても、心の中は解らない。特に、日本のコミュニティは心の中と、表が違ったりする。自分の心や考えを殺して、相手や周りに会わせることが良いとされてきた日本では、よくある事で、それがいいとか悪いという事ではない。それは、日本の風土や歴史の中、農耕の歴史も影響しているのだとは思う。

私は、そういう日本の社会ではうまくやって行けず、この国を何度も出て行った。

S井さんが世話をしていた猫、リラを私は引き継いだ。

リラを通して、この近隣の猫社会や、人間社会を垣間見ていく事になりました。

リラに餌をあたえる為、私の家のそばにおびき寄せる為、毎日何時間も猫たちを観察しました。猫に迷惑しているという人たちは、口をそろえて餌をあたえることが悪いと言いました。なので、私はリラ以外に餌をあたえないという事を徹底しました。

そうすると、他にえさ場を見つける事が出来ない猫と仔猫を育てている猫は、どんどん痩せていきました。4匹いた仔猫は2匹になりました。

私のSNSでの投稿を見た古い友人が、「しょーこさん、私がなんとかするから、保護するから、お願いだからそれまで餌だけは与えて欲しい。」といった。

私は彼女を信じて、他の猫にも餌をあたえる事にした。

猫が集まるゴミステーションの近くに何時間もいて、通りかかる人たちに私が餌をあたえている理由を説明した。

嫌な顔をする人もいた。そんな事をしても無理だという人もいた。すごく嫌な気持ちになったし、腹が立ったりもした。だけど、私はリラを引き受けた以上、近隣の猫たちの事に無関心でいることは出来なくなった。

餌をもらえなくなった猫たちは、ごみの日にごみ置き場をあさるようになった。

私は、友人を信じた。きっと、この子たちを迎えに来てくれると。もし、体力を落として病気や怪我をしたら、医療費などの彼女の金銭的な負担も増える。

ある日の午後、たくさんのカラスが飛んでいた。もしかしたら、誰か(猫)が死んだのかもしれないと思った。なんだか嫌な予感がして、仔猫がいる駐車場に行った。仔猫は車の下に隠れていた。その周りに数羽のカラスがいた。その子たちを捕獲しようと試みたが、車の下に隠れたままで、私には捕獲出来なかった。

その日の夕方、友人は猫の餌と捕獲器をいくつも持ってきた。猫たちは彼女が来るのを待っていたかのように、一か所に集まっていた。

お腹をすごく空かしていた猫たちは、あっという間に捕獲器に入った。4匹の成猫と2匹の仔猫を保護した。リラは静かにその様子を見ていた。

その晩、友人からメッセージが来ました。

全員、おとなしくノミダニ駆除の薬をつけさせてくれたこと。一匹以外はメスだったこと。仔猫を育てていた母猫とキジトラのメスも妊娠をしているかもしれない事。

妊娠していた場合、健康状態に問題がなければ中絶をするが、中絶手術に耐えられる体力がなさそうな場合は、自然に任せて出産をさせると。

私には解らない事だらけだった。

だけど、あの猫たちは、助かったのだと、思う。

「リラ、あんたが、あの子たちを助けたね。ありがとうね。」