その晩は、高校時代の同級生と、卒業して以来の再会。
SNSではいつもやり取りをしているのに。やっと会えた。

彼女は糸島でお坊さまに嫁いでいました。

「龍国寺いくの?お寺には連絡した?あのお寺入りにくい感じがするから連絡した方がいいかもよ」

「いいや。連絡とかしてないよ。ま、なるようになるんじゃん。」

明け方5時前ごろ、ふと目が覚め、原田さんと戦った源氏の人(源範頼)はその後どうなったんだろうと。気になったら眠れない。起き上がって宿の談話スペースに行きヒーターを付けて、お茶を淹れる。壇ノ浦でも主力で戦ったとか。でもその後別件で頼朝に伊豆国に流されたとかなんとか、Wikiには。どうも、源氏は、なんかよろしくない感じというか、複雑。

9時過ぎにゲストハウスを出発。龍国寺までは車で4~5分。

「曹洞宗のお寺はいいわね。きれいに整ってるわ(*^-^*)。あ、なんか書いてるね」

1203年に平重盛公の菩提の為重盛公を開基とし原田種直公創建の寺なり。と書いてある。

壇ノ浦の戦いは1185年3月。その約二カ月前に葦屋浦の戦いで負けて、どうなったんだろうと思っていたんですが、この後わかります。

入りにくい感じ、って、これかぁ。閉まってるね。

とりあえず来たし。とりあえず、手を合わせて・・・。ダニー君の写真撮って・・・。行こうか・・・。

その時、扉がひらいたんです。

中からお坊様が「どうぞ、よかったら、中へ」と。

「今日はどのような」と聞かれたので「平家物語を追っていて、昨日は大宰府に行ってきました。大宰府から門司まで行くルートを旅しています」というと。

「これは偶然ですね!あちらの方も平家物語で芦屋からだそうです」

とご紹介していただくと、その方は芦屋(福岡)の学芸員だという。

葦屋浦の戦いで原田種直さんが息子さんたち亡くしたらしいし、大宰府から落ちていくときに葦屋という地名が出ているので、とりあえず行っておこうという程度しか決めていませんでした。

「私たち下関から来ました!この後、芦屋に行くんです!平家と原田種直さんに所縁のある所、教えてください!」

これは奇遇だという事で、お坊様がストーブに火を入れてくれて、いすを並べてくださり「ここでどうぞ」といって、お茶まで出してくださりました。

お坊様にカルフォルニアに住むヒロコさんの友達だという事を伝えると、お坊様も驚いていました。

みんなで、ストーブを囲み、お茶を飲みながら、平家の話や吉田松陰の話や、なんか、いろいろ。←わたしは、日本の歴史に疎い。

大宰府から芦屋までは陸路で原田種直さんが護衛をして、原田さんと山鹿秀遠さんは仲が良くないらしく、芦屋まで来ると、山鹿さんに引き渡したらそこからは山鹿さんが船で門司に連れて行ってくれたようです。葦屋には10日くらい滞在したんじゃないかと。

芦屋で芦屋歴史民俗資料館に行くと、源平合戦に関わる特別展をしていた時の展示がまだ少し残っているのでそれが役立つかもしれないと。そして、この展示で残っていた資料がとても役に立ちました。

お寺の縁起には、13年間、鎌倉の土牢に幽閉されてたけど、許されて福岡に帰って来れたようです。

「あ、あたし、トイレ行く!」

とトイレに行きました。

トイレの窓からの景色がとてもきれいだったので、お坊様に「トイレから見える景色は何ですか!」と訊くと、奥に通してくださり、左が原田種直公のお墓でその横の少し小さいのが奥様のお墓だと教えてくれました。

静かに手を合わせました。

写真の右の方にある二つのお墓

入りにくい感じには理由があり、猫などが入ってきたりでお寺の中が荒れるので今は扉を閉めているとか。あと、檀家さんあっての、お寺。私たちは大事な事を忘れてたり、知らなかったり・・・そっか、拝観料とかとってるわけじゃないんだものね。

とても、不思議な出会いというか。不思議というより、道がちゃんと作られているような、やっぱり不思議、な、龍国寺での出会いと時間でした。