Thanks For the Memory
2012


photo by Chika Kobori

Thaks for the Memory

2010年。来日中のボブクランショウが私に言ったの。

「Seina、もしデモを作りたいのなら、レコーディングしよう。何も心配しなくていいからニューヨークにおいで。」

2008年のレナードガスキンのコンサート以来、特に2009年レナードが亡くなってからは親戚の叔父さんのように私を気遣ってくていました。来日をするたびに一緒にお買物に行ったり、食事をしました。

ボブ・クランショウは世界的なジャズベーシスト。

ボブの言葉を何度も考えた。

一年後。
「ボブ、あなたが言ってくれた、デモを作ろうという言葉。何度も何度も考えたの。私はミュージックビジネスの世界でやっては行かないと思う。だからデモは必要が無いと解ったわ。でもね、もしも可能だったら、レナードやグレイディ、そしてあなたに出会えた感謝をと思い出の為のレコーディングがしたいの」

「Seina,いつニューヨークに来るかい?」

「今年の終わりに行くわ」

そうして、私は、想い出の為のレコーディングをする事になりました。

Thanks For the Memory

レナード・ガスキン、グレイディ・テイト、ボブ・クランショウとの出会いがどれほど私の人生に喜びを与えてくれた。

でも、グレイディはレコーディングに来ることはできなかった。ボブもグレイディも私がキューバに居る間に永眠しました。このレコーディングは大切な大切な思い出。

Thanks For the Memory

Musicians

Bass:Bob Cranshaw ボブ・クランショウ

1932年イリノイ州で生まれる。ジャズはもちろん、セサミストリートやブルースブラザーズの元となった人気番組サタデイナイトライブのベーシストなど多岐にわたる。エラ・フィッツジェラルド、デクスター・ゴードン、コールマン・ホーキンス、ジョー・ヘンダーソン、ジョニー・ホッジス、セロニアス・モンク、オスカー・ピーターソン、J・J・ジョンソン、リー・モーガン・・・共演したミュージシャンは数えきれない。ソニー・ロリンズのバンドメンバーとしては1962年のアルバム「The Bridge」より約50年間演奏を続けている。アメリカ合衆国、カナダのプロフェッショナルミュージシャンの為の労働組合American Federation of Musiciansのメンバーとして今も多くのミュージシャンのサポートを行い、その人柄から多くのミュージシャンに慕われ尊敬された。2016年死去。

Drums:Leroy Williams リロイ・ウイリアムス

1937年シカゴ生まれ。独学でドラムを学び1950年代後半から地元のジャズクラブで活動を始めハウスバンドのドラマーとしても活躍した。1960年代半ばニューヨークに移りバリー・ハリス、エディ・ハリス、ソニー・スティット、セロニアス・モンク達にと演奏をした。バリー・ハリスとは30年以上演奏を続けている。ハンク・モブレイ、レイ・ブライアント、トミーフラナガン、スタン・ゲッツ、バディ・テイト、リー・コニッツ、アンソニー・ブラクストン、ソニーロリンズ、クリフォードジョーダン等と共演。彼の持つ優しさや人柄が彼の演奏から聴きとれる。

Piano:John Colianni ジョン・コリアーニ

ニュージャージー生まれ。ワシントンDCで育つ。19歳の頃ライオネル・ハンプトンの楽屋を訪ねたのをきっかけに3年間の間ハンプトンのオーケストラとツアーやレコーディングを行った。1980年代映画監督ウッディ・アレンのバンドの仕事でマイケルズパブ(ニューヨーク)に出演していた時、メル・トーメの目にとまりメルはすぐに彼をピアニストとして雇った。1991年~1995年の間メル・トーメのピアニストとしてツアーをこなし6枚のアルバムに参加している。レス・ポールのオファーにより2003年8月彼のグループに参加。レスは1950年代から彼のコンボにピアニストを起用しておらず、バッキー・ピザレリの勧めでジョンを起用。レス・ポールが亡くなった今も、毎週ニューヨークの老舗ジャズクラブIRIDIUMにてレス・ポール・トリオのメンバーとして活躍。2007年にジョン・コリアーニ・クインテットを結成。

Vocals:Seina 白石昌子

Shoko "Seina" Shiraishi1930年代、1940年代のアメリカンスタンダードポップスを歌う日本人ジャズボーカリスト。特に第二次大戦時代のポピュラーソングを得意とする。1989年ニューヨークで歌を始めニューヨークのクラブや高齢者の集まるレストランなどでスイングバンドのボーカリストとして歌う。1996年、I Have a Dream…Seinaを開始。1999年第二次世界大戦時代を生きたアメリカ人ミュージシャンとその時代の歌で綴った自主制作CDを3年をかけて制作し全米3500ヵ所の老人ホームに贈り数多くのメディアに掲載される。その後、音楽の世界から離れる。2008年、プロジェクトを支え続けてくれたジャズレジェンド、レナード・ガスキンを訪ね8年ぶりにガスキン氏に捧げる為のコンサートをニューヨークの老人ホームで行い日米のメディアに掲載される。