もともとは、今回の旅で大宰府は行かない予定でした。というのも、この時期は梅の開花や受験祈願で大宰府天満宮は人や車が多いかもと。
でも、先輩が参加するとなったので、ETCもあるしなぁと、ちらっと「大宰府」を地図検索したら、候補に「大宰府政庁跡」というのが出てきました。

へぇ、そんなのがあるんだ。と思い、写真などを見てみると、行ってみたくなりました。

大宰府は「古代において地方最大の役所」だったそうです。

京都から大宰府に飛ばされた藤原道真は、なんで、あんな辺鄙なところに飛ばされたのだろうとか、子供の頃から思っていたのですが、藤原道真が左遷された時の大宰府はとても栄えていたんですね。
無知だと、今更色んなことに気づけて、楽しいです。

というか、世の中知らない事だらけです。

風が強かったのではめ込んでみました

平清盛は1158年に大宰大弐(だざいのだいに)というのになり、日宋貿易が盛んになるそうです。

1166年。平頼盛が大宰大弐になるそうです。←頼盛は清盛の異母兄弟で弟。壇ノ浦で生き残ってその後出家するとか。

平氏一門が都から落ちて大宰府に来たのが1183年。で、下関の壇ノ浦の合戦が1185年3月24日(旧暦)。

後ろの人はなにをしているのかなぁ。サイコメトリー?

その後、大宰府展示館へ。

令和の年号の由来になっている歌は大宰府なんですね。

梅花の宴の食事も豪勢なんです。

かなり栄えていたんですね。大宰府。

ダニー君もジオラマの前で写真。顔が汚れていますね。気にしないでください。

20代くらいの受付の若い女の子がダニー君が気になって話しかけてくれました。ダニー君(ラテンアメリカの血)は女の子大好きなので嬉しそうでした。

ちなみに、大宰府から箱崎の津まではどのくらいの距離があるのだろうとGoogleマップで調べると、19キロ弱。徒歩だと4時間弱。といっても、今の時代の道です。

箱崎の津から船に乗ったのかと思っていたら、遠賀郡の「芦屋」まで、陸路で行ったそうです。大宰府から芦屋までは原田種直が護衛をしたそうです。

箱崎から葦屋までは44キロくらい。なので、合計65キロくらい歩いたのかもしれません。