2023年8月27日、福岡の能古島でのLos Van Vanの屋外でのコンサートで5月26日にお亡くなりになったLos Van Vanのベーシスト、フアン-カルロス・フォルメルさんの写真を入れた団扇を配り沢山の人たちに団扇を振ってもらいました。

あの団扇の花火の計画には、フアン-カルロスさんが亡くなった翌日に私の友達の美子ちゃんが亡くなった事と、団扇の費用を半分出してくれた悪性リンパ腫の診断を受けた友人の事と、もうひとつの事がありました。

フアン-カルロスさんが亡くなり、美子ちゃんが亡くなった事を知った日、私は自分自身に問いました。

「もし、あなたが近い未来に死ぬとしたら、何をしなかったら後悔する?」

私に浮かんだことは、迷いなく、作家の村上龍さんにお礼を伝える事でした。

2000年、村上龍さんは彼が発行しているメールマガジンに、アメリカ全土の3500ヵ所の要介護老人ホームに第二次世界大戦時代の流行歌を贈った1999年の私のプロジェクトの事を書きました。(村上龍さんからの言葉)

彼は私のプロジェクトの深い意味を理解してくれた唯一の人でした。

私に何があったか、私が何を経験してきたか、龍さんの言葉と存在にどれほど支えられたかを伝えたかった。

「ありがとうございました」なんて言葉は簡単に言える。
私は龍さんに私の物語の手紙を書くことにしました。
手紙は28万文字と決めました。「28」という数字が「完全数」だと友達が教えてくれたからです。28万文字は本にすると2〜3冊ほどになるそうです。

8月27日の福岡でのLos Van Vanのコンサートまでに龍さんにその手紙を送ってから、その事に気付かせてくれたフアン-カルロスさんの「天国から見える団扇の花火」をあげる事を決めました。

許可は取っていません。なのでいろいろと問題もありました。それでも、天国のフアン-カルロスさんにはきっと届いたと思います。

あのコンサートでは、もうひとつ私にとって大切な作業がありました。
村上龍さんの「限りなく透明に近いブルー」のスペイン語版をキューバに住む私の親友のルイシートに届ける為に、Los Van Vanのヴォーカリストのアルマンド・カンテロ(マンディ)に託す事でした。

私がどうしてあんなに必死に走り回っていたのか、不思議に思った人たちもいるかもしれません。私にはそういう理由がありました。

昨日、村上龍さんに別件でメールを送りました。
1993年に龍さんがプロデュースしたシオマラ・ラグアートさんのアルバム「恋はいつも未知なもの」をストリーミング配信することを検討してもらえないかと。

送信して1時間後に返信がありました。

「構いませんよ 村上龍」

龍さんはシオマラさんのアルバムのストリーミング配信の検討を始めてくれると思います。

とても、とても嬉しかった。

そのアルバムは去年お亡くなりになった、龍さんがとても親しくしていたNGラバンダのホセ・ルイス・コルテスさんが、フルート・編曲・音楽監修で参加し、音楽家たち、製作者たちの真摯なエネルギーとアメリカンスタンダードナンバーへの敬意がある素晴らしい作品だったからです。その事は改めてお伝えしたいです。


 

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天国のフアンカルロスおじさんに届いたかなぁ。