Nueva Generación
NG ラ・バンダ
1992


1. POR QUE TU SUFRES CON LO QUE YO GOZO|ボクは楽しんでるのに、何で君が嫉妬するんだい?
2. LOS SITIOS ENTEROS|君をルンバに連れていく
3. TE REGALARE MI MEJOR CANCION|ベストソングをあげるよ
4. RAP SE LA APLICARON TODAS|捨てられた娘達
5. YO SOY UN HOMBRE, CAMARA|もう一人の男
6. QUE VENGA LA FIERA, CAMARA|牝ライオンになって、こっちへおいで
7. RAP DE LA MUERTA|幽霊女のラップ
8. NO SE PUEDE TAPAR EL SOL|太陽をかくすことはできないぞ
Autor y Arreglista: José Luis Cortés


NGを楽しむためのメモ。その1

キューバ音楽にはさまざまなカテゴリーがある。

その代表的なものは、ソンとルンバだろう。

ルンバという言葉はそれ自体とても有名だが、キューバのルンバは、例えば「コーヒー・ルンバ」や「マイアミ・ビーチ・ルンバ」社交ダンスの演目にあるキューバン・ルンバなどとは根本的に違う。

ルンバはクラバスが刻む3・2のリズムを基に、リズムボックスでは絶対不可能な抽象的で複雑極まるシンコペイドされたビートに乗ってうたわれ、踊られる。

ルンバにも、ワワンコー、ヤンブー、コロンビアなどの種類がある。

女性がスカートの裾を持って腰を振り、男性はその股間に向かってアタックする。そのアタックを上手にかわせれば女性の勝ち、アタックが(手や足や腰などで、女性の股間にヒョイとちょっかいを出す)成功すれば男性の勝ちというセックスがテーマの他愛もないと言えばそれまでのダンスである。

踊り手は主に黒人達で、うたわれる歌詞もスペイン語ではなく、アフロ(ナイジェリア、コンゴ、アンゴうなどの各部族の言葉)で、もちろん非常にセクシーだが、黒人特有の柔らかな身のこなしとシンコペーションの動いたステップのせいで、ヒワイな感じはしない。むしろ、非常に洗練されている。

ワワンコーは速いテンポで男性主導のルンバ、ヤンブーはゆっくりとしたテンポで女性主導、誘うような仕草が特徴だ。

またコロンビアは、男性一人による示威的なソロ・ダンスである。

二曲目の「君をルンバに連れていく」ではワワンコーのリズムを中間で聞くことができる。

作奏がパーカッションだけになるところがあるが、そのリズムがルンバだ。

ソンは東部のサンチャゴ・デ・キューバで生まれたと言われているが、発祥はハッキリしない。

ソンは、基本的にやはり3・2のクラバスが基になり、ギター、トレス・ギター(12弦ギターの6弦版と考えればいい、2弦づつ、3本の弦を張る)、ボンゴ、ペース、トランペットで構成される。

ソンというのは歌という意味だが、その昔ギター一本でうだっていたスペイン移民のトローバ(男ならトロバドール、女はトロバドーレ、吟遊詩人のこと)がそのもとになっているのかも知れない。

その他に一般的なものとしては、ソンよりテンボの早い「グアラーチャ」、「マンボ」、「チャ・チャ・チャ」、スローなバラードの「ボレロ」、農民達の歌「グアヒーラ」、サンバの原型だと思われる「コンガ」、タンゴの原型かも知れない「ダンソン」などがあり、さらにそれらを複合させた「ソン・チャ」「ボレロ・チャ」、そしてアフロの宗教儀式に使われる「オバタラ」「アララ」「ベムベー」となると、もう私には何が何だかわからない。

また、編成の多いコンテンポラリー・バンドになると(NGもその一つ)、自分達のリズムを新しくつくったりするので、(代表的なのはロス・バン・バンの天才パーカッショニスト、チャンギートがつくった「ソンゴ」)ますます、混乱することになる。

ルンバからソンまで、キューバ音楽の特徴の一つとして、「モントゥーノ」というやつがある。「ソン・モントゥーノ」というカテゴリーもあるくらいだがそれは日本語でいうと「かけ合い」英話でいうと、「コール・アンド・レスポンス」ということである。

そのレスポンスの部分、これがソロ歌手のボーカルに劣らず重要なのだ。

例えば、コンサートでも、このレスポンスのコーラスを覚えておけば、一緒にうたって百倍楽しめる。

ちなみに、このライナーノーツの歌詞では、モントゥーノの部分を[ ]で囲っておいた。

全曲、繰り返し聞いて、コンサートまで覚えておけばものすごく盛り上がるよ。

モントゥーノとモントゥーノの間でソロ歌手はうたうわけだか、この場合、コンサートではインプロビゼーションが許されている。

その場で歌詞を考えたり、新しく作ったりして、一曲がえんえんと続く、観客も一緒にうたい、踊る、それがキューバだ。

もっと詳しいことが知りたい人は、NGラ・バンダのコンサートに来ること。

メモ、その2

「歌」のないキューバ音楽はない。

ボーカルのない、演奏だけのキューバ音楽というのは、アフロの宗教儀式の音楽から、ルンバ、ソン、現代的なサルサバンドに至るまで、ない。

ゴンサロ・ルバルカバに代表されるジャズ演奏家もいるが、私はまだキューバのジャズミュージシャンに感動したことがない。

なぜ必ず「歌」があるのか?

必要だったからだろう、必要でないものは生まれようがない。

なぜ必要だったのか、その答えはこのメモの最後に結論として書くことにする。

NGラ・バンダは1988年の結成で、まだ三枚しかアルバムを出していない。

このCDの4、5、6、7曲目は、録音はしているがリリースされていないマスターテープからチョイスしたものだ。

今でもNGはすごい勢いで曲を作り続けていて、なぜそのすべてがレコードやテープにならないかというと、塩化ビニールなどの原材料が不足しているというのが第一の原因だ。

ホセ・ルイス・コルテスが作曲し、彼自身かヘルマン・ベラスコがオーケストレーションをして、リハーサルを繰り返し、コンサートでは何十回、何百回と演った後でやっとレコーディングというケースが多い。

もう全員完全に暗譜しているし、アレンジが改良されることもある。そういう状況なので、レコーディングでは一発録りが可能になる。だから半年に及ぶレコーディングなんてことはないし、マスターテープだって日本やアメリカのように神経質に保管されない。

なにしろ、いつでも一発録りが可能なのだ。

NGにしろ他のバンドにしろ、新曲を生みだすスピードは私達の常識を越えている。

なぜそんなに大量の歌が必要なのだろうか?

NGラ・バンダとしてのアルバムは三枚だが、グルーポ・ヌェヴァ・ヘネラシオンというホセ・ルイス・ヘルマンを中心としたセッション・アルバムが数枚ある。

「・・・ムラカミは革命後のキューバ音楽が好きなのか、それは当たり前だよ、革命後この国には、才能のある者だったらただで行ける音楽学校がたくさん作られて、東ヨーロッパから教授が来て、ボクらはクラシックを叩き込まれた、うんざりするくらいクラシックを練習したよ、本当にうんざりしたこともあって、キューバのトラディショナルをやらせてくれと抗議したこともある、モーツアルトやハイドンは当時のヨーロッパのポピュラー音楽だった、でもボクらのポピュラー音楽じゃない。ボクらはボクら自身のポピュラー音楽をやりたかったんだ、ボクはバンバンやイラケレにいたが、ボク自身の音楽をやりたいという思いが強くなって、1986年あたりから、ヌェヴァ・ヘネラシオン(新世代)という名前を使ってセッションをやりだした、みんな音楽学校の仲間なんだ、ヌェヴァ・ヘネラシオンじゃ長すぎるので、NGと略することにした。初期は試行錯誤を繰り返したが、徐々に、自分達のものがやれるようになったんだ」

ホセ・ルイス・コルテスの話。

ホセ・ルイスは試行錯誤と言っているが、私は彼らの初期のジャズ・ファンクのような音楽が好きだ。ホセ・ルイスとへルマンを中心としたセッションは、新しいものの誕生の予感に充ちた、緊張感あふれるものでキューバ音楽という強烈なテイストと、比べようのない高い演奏技術に支えられて、ジャズの押しつけがましさが消えている。

「CICLO」という二枚のLPが最もすばらしく、私はこれを聞いて、お、ジャズも捨てたもんじゃないな、と思い、棚から昔のジャズを出して聞いたりもした。だが本家のジャズは聞けなかった。僅かながら楽しめたのは、ソニー・ロリンズとエリック・ドルフィだけで、あとはマイルスでもハービー・ハンコックでもチャールス・ミンガスでも、聞けなかった。ただ、ひたすらべっとりとして重く、あきれるほど単純で、単調で音色がなく、うるさかった。

ま、ジャズの悪口は止めよう。ジャズはキューバに貢献しているから

さて、そろそろ「歌」についての結論を書かなくてはいけない。なぜこんなに、「歌う主体」と「聴く客体」といった区分けそのものがバカバカしくなるような、混沌状態の歌詞が成立するのか?

それは、うたをうたうこと、音楽を演奏すること、聴くこと、踊ること、コンサート、それらがキューバでは、「特別なこと」ではないからだ。

音楽は生活の一部です、などと言う人はこの日本にもいる。だが、それが真実だったら、すべての人がそう考えていれば、そんなことをあえて言う必要はないし、日本の音楽はもっと強いものになって、海外でも演奏されているはずだ。

歩き始めたばかりという幼児と、歩けなくなった老人までが、一緒にうたえる歌が、キューバには何百曲もある。
歌は、世代によって分断されていない。

なぜなのだろうか?

必要だったからだ。生きのびていく上で、大量の美しく強い歌が必要だったのだ。

ねえ、キューバ危機の時、キューバ人はどうしてたの?と、私はキューバの友人に聞いたことがある。彼女は、キューバ危機って?と聞き返してきた。

ほら、フルシチョフがミサイルを運んでるって、ケネディが海上封鎖をして、世界戦争になりそうだった時だよ、と言うと、彼女はうんざり、といった顔で答えた。

「そんなこと、何十回とあったから、忘れた」

移民と奴隷がキューバを構成して以来、現在まで、キューバは危機と戦いの連続だった。私達から見れば、想像もつかない辛い状況を、キューバの人々は笑いとばしながら生きている。

そういう時に、音楽はなくてはならないものだったのだ。美しい音楽で、われを忘れる必要があった。

人々は演奏技術を磨き、ダンスのステップを考案し、誰もが歌えるきれいな曲を作り、優れた音楽家や歌手には尊敬と拍手を送り続けた。

その結果、他に例のない、音楽の国が生まれたのだと思う。

村上龍


José Luis Cortés (Cantante/Flauta, Director)
Antonio Calá (Cantante)
Mariano Enrique Mena (Cantante)
Issac Delgado (Cantante: 2,3)
José Miguel Crego (Trompeta)
Elpidio Chappottin (Trompeta)
Germán Velazco (Saxófono Alto, Director Musical)
Rolando Pérez Pérez (Saxófono Tenor)
Miguel Angel de Armas (Teclado)
Rodolfo Argudín (Piano)
Feliciano Arango (Bajo)
Calixto Oviedo (Bateria)
Juan Nogueras (Conga)
Pablo Cortés (Bongo)
Guillermo Amores (Guiro)


Producción: Josê Luis Cortés
Grabación y Mezcla: Tony Lopez Alonso (1, 2, 3, 8)
Ramon Alom (4, 5, 6, 7)
Grabado: Estudio de grabaciones EGREM
Ciudad de la Habana, Cuba 1990/91
Pintura de la Carátula: Jennifer Markes (‘When Morning Breaks Dawn’)
Weiss McGraw Publishing
La pintura fue escogida por Ryu Murakami Dirección Gráfica: Hiroaki Nagai (N. G. Inc.)
Diseño: Makoto Yamamoto (N. G. Inc.) Coordinación Gráfica: Kazuko Sanbo
Agradecemos a Haruhiko Kono, Yvonne Moreira, Carmen Mayans, Caridad Diez, Galleria Prova y Dennis Weiss por la realización de este album joponés
Album japonés recopilado y producido por Ryu Murakami

Licenciado por ARTEX para Japón