君はもう死ぬことなど考える必要はない なぜなら僕が傍にいるからだ
No Hace Falta Pensar La Muerto, Porque Yo Estoy A Tu Lado
1993年

パウロ・イ・ス・エリテ
PAULO Y SU ELITE


• SONANDO Y PEGANDO DURO|高らかに弾きながら
-P.Fernández-P.Fernández-

• MENEATE |腰をふって
-P.Fernández-P.Fernández-

• TU TODO MI TIEMPO|きみはぼくの時間のすべて
-P. Fernández-P.Fernández-

• MUCHACHA TERNURA|優しい娘
-C.Gail-P.Fernandez-

• VEN A MI CHACHACHA|こっちへおいでチャチャチャ
-P. Fernández-P.Fernández-

• YO NO PUEDO ESTAR CON OTRA|ほかの娘じゃだめなんだ
-P. Fernández-P. Fernández-

• TU NO ME CALCULAS|.きみにはぼくの心がわからない
-P. Fernández-P.Fernández-

• FATALIDAD Y CASUALIDAD|宿命と偶然
-P. Fernández-P.Fernández-

• NO HACE FALTA QUE LO DIGA|何も言う必要はない
-A. Lerner-A.Lerner-

• LA CAPTURA|捕らわれの身
-P. Fernández-P.Fernández-


あれはもう何年前になるだろうか。ハバナの「セシリア」というレストラン・キャバレーで、オプセ・トレセというバンドを見た。

その日はものすごい強行軍で、まず、午前中に映画「キョウコ」のための女優二階堂ミホのダンスのレッスンをやって、次にある画廊の中庭にコンフント・カネイを見に行き、ニーノという名前の八十四歳のパーカッションに感動し、(彼は今は現役を引退しているが、昔はあの有名なソノーラ・マタンセーラにいてメキシコ公演中にキューバ革命が起こり、バンドの方針は亡命ということになったが、一人で故国に戻ったという伝説の人物、その理由を聞くと「私がキューバ人だからだ」と胸を張って答えた)その後夕方から車で二時間ほどの距離にある港町に(町の名前は忘れた)チャランガのバンドを見に行き、ハバナに夜中戻って来て、「セシリア」にたどり着いたのだった。からだも精神も深く疲れていて、ウエイターが注文を取りに来ても、口を開くのさえおっくうなほどだった。そういう状態で私はオプセ・トレセの演奏を見たのだが、オプセ・トレセとはパウロ・イ・ス・エリテの前身とも言うべきバンドである。

「しょうがねえな、うまいバンドだから撮影しとくか」と私はビデオをかついで舞台に上がった。下手からステージに上がると、床が小刻みに展動していて、それはピアニストによるものだった。私はその夜に初めてエミリオ・モラレスのピアノを聞いたのである。

深く疲労したからだに、そのピアノは快くかつ鋭く入ってきた。音がからだを駆け巡り、揺さぶり、神経を開放する、ということを実感したのはその時が初めてだったのだ。

その日撮影したエミリオ・モラレスの指と鍵盤だけという映像は私の貴重なライブラリーとして保管されている。歌の伴奏なのに、これほどドライブするピアノを私は聞いたことがなかった。エミリオ・モラレスはパウロが彼のバンド、エリテをつくる時に迷わず参加した。

ある意味で、キューバ「最強」のピアニストであるかもしれない。

その他にも、音楽監督兼テナー・サックスのホアン・マニュエル、アルトサックスのフランシスコ・ルビオと、いいプレイヤーがいるが、私が絶対に推したいのが、ドラムス・パーカッションのヘクターとシンセサイザーのセルヒオである。二人は共に何と二十四歳、両者ともキューバの底力を示す、驚異のミュージシャンだ。思わず二人を養子にしようと思ったくらい、気に入った。

キューバには、チャンギートという天才、NGラ・バンダのカリスト・オビエド、それにジャズ系だったらペルスペクティーバのシンプソン、ルバルカーバと一緒にやっているフルオ・バレットなど圧倒的なパーカッショニストがそれこそきら星のように存在するが、ヘクターのドラムは、若いからと言えばそれまでなのだが、力強く、派手なので好きだ。

シンセのセルヒオは十五歳の時にあのリチャード・エグエス(アラゴンの初代フルーティスト)に見出され、プロの道を歩いてきた。ありとあらゆるジャンルのキーボードを弾くことができる、まぎれもない天才奏者である。

「チャ・チャ・チャ」の曲で、ライブ演奏では彼はエミリオ・モラレスとかけあいのインプロヴィゼーションを行うが、それに注目して欲しい。

音は確かにものすごい速さで聞こえてくるのだが、指の動きがまったく見えない。

信じられないことだが、エミリオ・モラレスもセルヒオも自宅にピアノがないそうだ。エリテで使用している楽器はバンドのもので、鍵盤楽器奏者を志してから、自分用のピアノはおろか、シンセも持ったことはないそうだ。

「オレ達がどこでキーボードの個人練習をするのか、知っているかい?」とエミリオ・モラレスが聞いて、私は分からない、と答えた。何と、古いピアノの置いてある博物館とか、空いている時のコンサートホールで弾かせてもらうのだそうだ。すごいピアニストを一人育てるのに、どのくらいのお金がかかるのだろう?すごいピアニストを産む国は何か豊かなものがなくてはならないはずだ。

キューバは、溜め息が出るくらい貧しい。

だが、信じられない技術と発想を持つミュージシャンが数えられないほどいる。その理由は、簡単ではないので、次に書く小説で説明しようと思う。

リーダーのパウロは、コンサートで女の子がキャーキャ一騒ぐというキューバでも珍しい存在だが、もちろんただのアイドルではない。エリート達を率いる責任感あふれるリーダーである。

村上龍


パブロ・アルフォンソ・フェルナンデス・ガーヨ|リード・ボーカル・作曲・リーダー
ファン・マヌエル・セルート・ラバゴ|テナー・サックス・フルート
ブルーノ・ロヘリオ・ナポレス・コジャーソ|ギター・コーラス
エミリオ・モラーレス・ルイス|エレクトリック・ピアノ
ルイス・フィルベルト・デペストレ・モンタルポ|アルト・サックス
フランシスコ・ルビオ・パンビン|ベース
トマス・ラモス・オルティス|コンガ・バタ
フランシスコ・パドロン・ヒメーネス|トランペット
エクトル・サラサル・フリーアス|ドラム・ティンバレス
セルヒオ・ルイス・ノローニャ・ロドリーゲス|シンセサイザー・コーラス
アンドレス・パドロン・アセーア| ボンゴ
オスバルド・チャコン・ギーア|コーラス
カルメロ・アンドレ・ジャーネ|トランペット
フリオ・モンタルボ・カントーヤ| トロンポーン


・ソロ:ファン・マヌエル・セルト in “優しい娘”
・ルイス・エリク in ”君は僕の時間のすべて”、”君にはぼくの心がわからない”、”運命と偶然”
・ルイス・デペストレ、エミリオ・モラレス、フランク・ルビオ in ”何も言う必要はない”

オーケストレーション:
音楽・制作監督:ファン・マヌエル・セルト
録音:ヘルジー・ベレ
ミキシング:ヘルジー・ベレ、ファン・M・セルト、パオロ
EGREM録音スタジオ:ハバナ,キューバ、1993年4月
翻訳協力:網野真木子/木村千里/松本ファン・アルベルト/藤井一/山口光生
Design: Yasutaka Kato for Above Us Only Sky Studio
Art Work:Hisashi Nishikata
Photography:Atsushi Kondo, Koh Hosokawa