ルイシンと作るキューバ音楽の新しいSABOR(味)

IMG_0085

ルイシンと作るキューバ音楽の新しいSABOR(味)

CHOCOLATE
ミュージシャン 音楽



ハポネソンは2016年、キューバで精神的にまいりきり、キューバを撤退すると決めた時に始まりました。

18人のミュージシャンが3つのグループに分かれ、それぞれの希望の3つのスタジオでレコーディングを行いました。

ルイシンとルイシートとのセッションは最後のグループでした。

ルイシンは私がいつも遊んでいたオビスポ通りにあるボローニャと言うお店でオレステスやエコノディオといった2014年に初めてキューバに行った年から親しいミュージシャン達と2015年ごろから演奏していました。

いつでも、どこでも、大切にカバンを斜めにかけている。
あのカバンには何が入っているんだろう。

一見おとなしそうな優しそうなおじさん。

でも、ピアノ弾かせるとバンドイチって言っていい程、すんごいファンキーなんです。テクニックも半端ないんです。


スタジオに行くと、ルイシンがレコーディングエンジニア席に座ってパソコンや機材をいじっていました。

レコーディングが始まると、とにかく妥協しないんです。あるミュージシャンは同じフレーズを8時間も何度も何度もやらされていました。「スタジオ代上がる・・・どうしよう・・・」と思いながらも彼の真剣な情熱に何もいう事が出来ませんでした。


ある時、私たちはスタジオの居間でコーヒーを飲みながら話していました。

「アタシさ、家族居ないんだ。居るけど、多分生きているけど、会えないんだ。色々あってね。だからパパにも会えないんだよ。私のパパは、ピアノの先生で、音楽をすごく愛していたの。でも、二人目の子供の私が生まれた時に、音楽を辞めたんだ。音楽じゃ家族を養えないって思ったからだと思う。パパは難しい人だったけど、私がいい音楽を聴いていたらパパは機嫌が良かったんだ。パパがくれたものでとっても大事な物は、私の命と音楽を愛する心だと思う。だからさ、音楽をやっていると、音楽を愛していると、パパに会えなくても、パパを愛しているって気がして安心するんだ。

ねぇ、ルイシン、私さ、すごくうれしいんだ。日本はさ、戦争で負けてアメリカの物がいいって思ってきて、音楽も、日本の音楽はあまり音楽的に良くないと思ってしまって、アメリカの音楽を聴いてきたんだよ。私もそうだった。でもさ、今日さ、みんなが日本の歌(さだまさし)を口ずさみながら演奏して、いい曲だね、って言ってくれたでしょ。凄くうれしかったんだ。私さ、そんな音楽がやりたいんだ。」

ルイシンはテレビの方を見ながら、
「その話に乗った」と、人差し指を立てたの。

今回のルイシンたちとのセッション(カフェボローニャのメンバー)は彼無くしては出来なかった。シエラマエストラで歌っている歌手のルイシートも、パーカッションのロランド・サルガド(ニーニョ)が参加したのもルイシンが居たから。

彼らが口を揃えて言ったことは、
「ルイシンはとても素晴らしいミュージシャンなんだ。彼に彼のプロダクションをやらせたいんだ。」

そして、初めて腰を上げて音作りをしたのが、私たちハポネソンのプロジェクトでした。

img_0720
私は昔から決して上手い歌手じゃない。
音も外れるし、リズムもスコーンと行かない。別にラテン歌手のように歌えるようになろうとしない。私はただ、私の歌を歌う。

でも、私の声(歌)がキューバ音楽に交ざると新しいSABOR(味)になる。

ルイシンはそれが面白いらしい。
周りのキューバ人たちも、そのSABORが、かわいくて気に入っている。

ルイシンと今後ハポネソンのプロジェクトをやって行きたいと思ってるの。音楽プロデューサーとピアニストとして、一緒に音を作っていきたいと思ってる。

img_0352_