キューバから。《さだまさし》への想い。日本への想い

IMG_0075

キューバから。《さだまさし》への想い。日本への想い

CHOCOLATE
キューバの日々 クラウドファンディング ミュージシャン レコーディング


そもそも、

どして、わざわざ、《さだまさし》を取りに行く為だけに、キューバまで行くの?

どして、ラテンな国で、《さだまさし》?

私は小学4年生から、洋楽、と言われる、外国の音楽を聴いていました。

ずっとアメリカの音楽を追っかけて生きてきました。

クインシージョーンズにも会えた♪

子供の頃よく聞いてたクインシージョーンズにも会えた♪



私は、20歳でニューヨークに行き、
ニューヨークで、好きだったアメリカンスタンダードポップスのレッスンを取り、歌い始めました。

数年後、ニューヨークでスイングバンドで歌うようになります。

私は、1940年代のアメリカの歌が大好きでした。

でも、ずっと、日本人の自分が、母国語じゃない歌を歌う事に疑問を持っていました。

その中で行った日本人としてのプロジェクトが Angels Swing【I Have a Dream…Seina/The Songs for Nursing Homes in the U.S】でした。

 Angels Swingの活動を通して私は戦争の歴史の中にのめり込んでいきました。

アメリカが大好きだった私は、音楽の活動を通じて、歌手のモニカ・ルイスさんやGHQ占領時代のマッカーサー元帥の護衛をしていた退役軍人達といった太平洋戦争から朝鮮戦争の時代のアメリカ人達にあったり、連合軍元捕虜の退役軍人達、その遺族とも会いました。また、そういった歴史を知ってもらうという活動もしてみました。

でも、片方側の事を言っても伝わらない事が多く、私は日本側からの戦争、大東亜戦争の歴史を知る事になっていきました。

私たち日本人の価値観や教育は良い意味でも、あまり良くない意味でも、太平洋戦争が終わったGHQの時代に大きな転換があった事を知りました。

海外の情報や文化が入って来にくい《鎖国》という物が西洋へのあこがれを生んでいたのかもと思っていたのですが、もしかしたらあの戦争が終わった時に価値観の転換をアメリカと日本が行っていった。戦争で負けるという事の意味を考えさせられました。

私は日本人であることをどこかで恥ずかしく思っていました。

どこかで、そう刷り込まれたのか・・・。

ある時、福岡のアメリカ領事館から独立記念日の式典で日米の国歌を歌って欲しいという依頼を頂きました。

アメリカが大好きだった私は、そのオファーをとても嬉しく思いましたが、「日本の国歌は歌いたくない」と伝えました。

でも、在日本の、福岡のアメリカ領事館の独立記念日の式典で、日本人の私が日本の国歌を歌わないという事はおかしいことかもしれないと思い、私は日本の国歌を歌う事も承諾しました。

一生懸命アメリカの国歌の練習をしました。

日本の国歌はあまり練習しませんでした。
それでも、小学生の頃に学校で歌っていた日本の国歌の歌詞とメロディーはしっかり覚えていました。中学生からはプロテスタント系の私立の学校に行ったからか、日本の国歌を歌った記憶はありません。



在福岡アメリカ領事館のアメリカ独立記念日で両国歌を歌った自分の動画を見た時に、私は自分が骨の髄まで日本人なんだと感じました。

殆ど練習しなかった日本の国歌の方が、あんなに一生懸命練習したアメリカ国歌よりも良かった。

アメリカに憧れて、アメリカを追っかけて生きて来た私の何かにゆっくりひびが入る様に私の中に静かな崩壊のスタートが起きました。、そして、そこから2~3年をかけて私の中にあったその何かは壊れて行きました。

でも、どうして、日本の国歌を「歌いたくない」と感じたのでしょう。

私が、20代の頃、ニューヨークから日本に帰ってくると、公立の小中学校での式典で国歌を歌うとか歌わないという事、歌う時に立つとか立たないとか、そういう事がニュースになっていました。

私は、日本の国歌を歌う事はよくない事だと心のどこかで思うようになりました。

多分、日本は、なんかすごく悪い事をして来たんだと、何の根拠も無く思っていたようです。

日本の国旗を見ると、右翼っぽいとか、軍国主義的な日本好きとか。
何の根拠も無くそう感じていました。

日本はよくない国なんだと、どこかで思っていました。

アメリカの音楽とアメリカの映画とドラマを多く見て、アメリカに憧れて育ちました。

日本の音楽はあまり聞きませんでした。

でも、どうして、言葉も理解できない歌を人々は喜んで聞くんだろう。
私もそうだった。

でも、言葉が解ると歌の意識への入り方は違います。

浮かぶ物語も、景色も、感情も違います。

なのに、どうして、外国語の歌を選んで聞くんだろう。

2015年、2度目のキューバから戻った私は、キューバという日本と全く違う歴史や文化からの戸惑いもあり、自分が日本人であるという事を見つめるかのように、また楽しむかのように、さだまさしを聞くようになりました。

2016年、私は生れて初めて自分の意思で買った日本の国旗をスーツケースに詰めキューバに行きました。
8か月のキューバ滞在期間、私の部屋には日本の国旗がありました。

朝はさだまさしのグレープ時代の歌を聞く。

この部屋でいつも《さだまさし》

この部屋でいつも《さだまさし》



ある日、ハバナの新市街を歩きながら、さだまさしさんのコンサートアルバムを聞いていました。「前夜(桃花鳥)」という歌を聴きながら歩いていました。



「今、若者はみんなアメリカ西海岸に憧れていると雑誌のグラビアが笑う
そういえば、友達はみんなアメリカ人となっていく
いつかこの国はなくなるんじゃないかと、問えば君は笑う」


私は立ち止まり、公園に座りました。
アメリカ人に成ろうとして生きていた私は泣いていました。

日本の音楽は面白くない。
外国の音楽ばかり聞き、日本の音楽をあまり良く言わない人たちもいます。

ニューヨークで10年近く暮らしたから、解る、感じられる、匂いや感触の感覚もありますが、今もビリージョエルのいくつかの歌の意味が解りません。
サイモンとガーファンクルを聞きながら、はっきりと歌の歌詞の意味や背景がつかめません。

でも、歌はその時代や土地と、歌を作る人の見てきた人生の景色が混ざって出来ている気がします。

キューバにカルロス・バレラというシンガーソングライターが居ます。キューバ人だと誰でも知っているアーティストだそうですが、私は彼の名前も顔も知りませんでした。キューピーダニーのプロジェクトをやっていた時にご本人にお会いしました。 
どんな歌手なんだろうと、調べてみると、英語での記事がいくつかありました。
彼は、キューバ人の普通の人たち、アメリカに憧れながらも、キューバを愛し、ある人は国を離れ、ある人は国に残り、そういった人たちの心の言葉を代弁しているような人なんじゃないかなと感じました。そして、彼の歌詞は「詩」で、彼は詩人だと。

キューバ人じゃないと理解できない、共感できない歌詩と音楽。



彼の歌を聞くと、私は《さだまさし》が聞きたくなります。

日本人じゃないと理解できない、共感しきれない歌詞と音楽があるように感じるから。

さだまさしの《北の国から》を私は選びました。

歌詞に特別なダイレクトな意味の無い
「ラララ」と「ルルル」で歌われる歌。

元々ラテン音楽とはそれ程縁のない人生を歩んできた私がキューバで少しずつキューバのリズムを感じ、細胞に入っていく。

アルペジオのメロディーから、少しずつ「ソン」などのキューバのリズムを入れて行き、どんどんキューバの音に囲まれていく。日本で生まれ育った私がキューバという国の中で感じた、見てきた感覚を《北の国から》というテーマを軸にした「南の国から」を作りたい。

それをアルバムのイントロダクションにしたい。

そんな思いが、私たちがキューバで録音した、さだまさしさんの「北の国から」に込められています。

今回のアルバム《POR LA CHOCOLATE》、《JAPONÉSON(ハポネソン)》の初めてのプロジェクトにどうしても入れたい。

その音源が手に入らないという事は私にとってはとても重大な事。

だから、キューバに《さだまさし》を取りに行きます


本当は私が《北の国》を弾くはずだったのですが、1年ちょっと前に遊びでギターを弾き始めた私は、うまくならず、元々学生時代にギターを専攻していた歌手のルイシートが私の代わりにギターを弾いてくれました。


みんなが、《北の国から》を笑顔で口ずさみながら「かわいくていい曲だね」と。



【日本からキューバへ】連れて行った《さだまさし》。
キューバの暮らしの中で、キューバの影響を受けた《さだまさし》を【キューバから日本へ】連れてくるために、キューバに取りに行ってきます。


だから、目標金額は40万円じゃない。

60万円欲しい。
じゃなくて【必要】

だから、私たちの船「ハポネソン」に乗船してください​(゚▽゚*)♪

私の見る、私たちが見せる景色を見に来てください。


VAMOS!!  JAPONÉSON